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*** スピリチュアル論 ***

 

 

スピリチュアルと宗教

 

 

宗教が生む葛藤と苦しみ

 

 

もう10年以上前のことでしょうか。

私はあるアメリカのドラマを見ていました。

 

キリスト教の一派、カトリック教徒の女性が、

教義に背いて子供を堕胎したことを悔いて

親交の深い馴染みの教会の神父さんに相談に行きます。

 

カトリックでは人工中絶は認められていません。

しかし女性は、すでに多くの子供を持ち、

身体的にも経済的にも逼迫していました。

堕胎は、夫と相談を重ねた上での苦渋の決断でした。

でも、彼女は、教義に反したあの決断は正しかったのだろうかと

毎日悩んで、悔いて、苦しんだ上で神父に打ち明けました。

自分の行為は許されるものだったのだろうか。

すると神父は「教義に例外は無い。堕胎は許されない行為だ」と答えました。

 

彼女は毎週必ずミサに通うほど、信仰に敬虔であり、

この神父のこともとても尊敬し、敬愛していました。

その神父に「許されない」と言われたことで深くショックを受け、

ついに心身を壊してしまいました。

 

 

 

。。。で、このドラマは

実は彼女の夫が、妻に精神的苦痛を与えたという理由で

神父さんを訴えちゃったという法廷ドラマの内の一話なんですけどね。

さすがアメリカっていうか。。。。。(^^;

 

訴訟を起こしたのは妻の制止を聞かなかった夫。

当の本人の女性は神父を責める気は毛頭なく、

「許されない」といわれた今でも尊敬する気持ちは変わらない。

自分の夫が敬愛する神父を訴えたということで、

女性はさらに板ばさみに(気の毒に

一方神父も、子供の頃から成長を見守り、

わが子のように可愛がっている彼女を苦しめるつもりは毛頭ない。

でも、教義は教義。「堕胎しても良い」とは神父の立ち場として言えない。

 

ドラマとしては結局、

裁判の流れとして、このままでは神父が敗訴するだろう、

巨額の賠償が命ぜられる可能性があるので、神父の弁護士は和解を勧めます。

でも神父は「教義に反することは言えない」とかたくなに拒みます。

そしてそんな状況を見た夫は、「私は賠償を望んでいるわけではない、

ただあなたに、妻を救ってほしいだけなんだ」と懇願します。

ついに神父は女性に

「父と子と聖霊の御名において、あなたの罪を許そう」と告げ、

女性は泣き崩れ、解決するわけです。

 

 

 

人の心を助けるものは

 

 

もう大昔の記憶ですから、多少ディティールが違うところがあるかもしれませんが。。。

私はこのドラマを見ていて、「なんだかなぁ。。。」と思いました。

 

まぁ、一番のツッコミどころは勿論、

「なぜそこで訴える。」なんですけどね(笑

 

 

10年経った今でも、心に残るのは

「宗教は人の心を救うためにあるのに、苦しめてたら意味ないじゃん」

でした。

 

ある意味、誰も悪くないんです。みんな善良だと思いませんか?

敬虔な信者の女性も、

宗教に真摯に取り組む神父さんも、

一番イタい役どころの夫も、

愛する妻が体を壊すほど苦しみ、悩むのを見ていられなかったんです。

全員が、いろんなものに板挟みになっていただけです。

 

 

私は宗教に造詣が深くないので、トンチンカンなこと言ってるかもしれませんが。。。

 

宗教には正論と真実があります。

そして、理想論でもあり、究極論ともなるわけです。

だけど。

私たちは人間です。そして実社会は理想社会ではないし、

宗教の生まれた遥か彼方昔から比べて、今の世界は多種多様化しています。

 

 

宗教になじみの薄い私たち日本人にはピンと来ないかもしれませんが、

宗教と現実社会のギャップに、つらい思いをする人も沢山いると思うのです。

なぜなら宗教は、生まれた時から身近にあって、

人の存在意義、人生の在り方、その人の中核を成す価値観に

強烈に刷り込む強い影響力があるのですから。。。

 

 

こんな書き方をしていると、私は宗教否定派と思われるかもしれませんが(^^;

私は、宗教を否定するつもりは全くありません。

歴史を通り越して神話となるほどの大昔、紀元前から今日までずっと

世界中でこれだけの人間に継がれているものです。

この数年で持ち上がった現在のスピ論とは、元から次元が違います。

 

 

でも、それだけ深く沢山の人の「存在意義」に根付くものであればなおさら、

人を傷つけるものになってしまっては、意味がないですよね。。。

宗教戦争はもちろんですし、教義に沿えなくて罪の意識にさいなまれたり、

「私は神に背いた」なんて、自分を存在まで否定してしまうことが、

あってはならないのではないかと。

自分が望むことが教義に背くから悩む、

なんだかそれって本末転倒なのでは? なんて。。。

 

本来、人を助け、支えてくれるものはそれが故に

人を縛ってはいけないと思うのです。

例えそこに、どんな理由があろうとも。

 

 

スピリチュアルと宗教は根本的に違いますが、

最近のスピリチュアルブームにおいて、このドラマと同じような現象が起こっている気がします。

「○○してはいけない(禁止)」とか「○○しないとダメ(強制)」とか。

それが理にかなっているならまだしも、そうでないことも多々。。。

今のスピリチュアルブームの中では、本来のスピリチュアルの意義が、

どこか本質が見えなくなってしまっている状態が増えているように思うのです。

次項に詳しく進めていきましょう。

 

 

 

 

 

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