親を許すことができた日

人生を変えたい

これは私の体験談です。リコネクション後、母との関係性がどのように改善したかをご紹介します。
長いのでゴメンなさい(^^; どんな親だったか、私がどういう性格になったか、
どんな出来事が発生したか、リコネ効果の説明、その後、です。

私の親は毒でもなく、環境はむしろ恵まれた子供時代でした。
それでも、人並みな「インナーチャイルド」と言われる要素は相当にありました。

私がつけた母へのレッテルは「何一つ満足にできない人」でした。
専業主婦で就業経験が無く、いつも頭が痛いとかなんとか言って寝てばかり。
私の幼稚園の送迎バスのお迎えに何度も間に合わず、
先生から「迎えが無ければお返しできません」と叱られると、
ある日代わりに2才上の姉が立っていたこともありました(その時の姉、6~7才ですけどね)

母は朝起きれないので我が家は基本朝ごはんが無く、
中学になると私が家を出る音でやっと起きてくることも。
お弁当もひどいもので私はいつも友達の
「まともな」お弁当が羨ましかったのを覚えています。

母は衣食住の最低限のお世話はするけれど、進んで子供に関わる人ではありませんでした。
自分の為に何かをしてくれる、という相手ではなかったので、
私は母に何かを頼んだり頼ったりするという発想そのものがありませんでした。
小学生低学年で学校から雑巾を持ってくるよう指示があったときも、
私はそれを母に伝えるよりも、雑巾ってどうやって作るんだろうと思っていたし、
怪我をしてもそれを母に見せることもせず自分で手当てをしていました。
珍しく何かで病院に連れていかれると「病院につれてってくれるんだ」と驚いたり。
母と私は、日々の出来事を話したり相談するような情緒面の関わりをせず、
代わりに私の行動に口出ししたり叱ったりすることもしませんでした。
その「親から学んだ他者との関係性」はそのまま私の性格となり、
誰かに相談したり頼ったりするという発想も行動もしない性格になりました。
(成人してから自分の性格に気付き、自分でその性格を変えていきましたけど)

母自身、毒な親(祖父)に育てられたので、彼女は人生において自分の身の安全の為に
「何も言わない、逆らわない、自発的な行動しない、黙ってうつむいていれば時が流れる(つまり何もしない)」
を学習し育った子供でした。そのまま大人になり、結婚して家庭をもって子供を持っても、
自分が子供の頃学んだ「こうしていれば安全」の振る舞いのまま生活していたわけですね。
ただ受け身に日々をやりすごし、嫌なこと、面倒なことは目をそらし続けて放置する。

そんなわけで、子供時代の私は「どうやらうちの親子関係は友達の家のような
「普通」とは少し違うようだ」と気づいてはいましたが、
別にいいやと思っていました。むしろ余計な口出しをされるよりはマシだ、と。

そして時は流れ、父が亡くなり姉が家を出ても、私はいつまでも結婚できず(笑)
30代にもなった娘と母の実家二人暮らしとなれば、揉めないはずがない。
私は「いままで何もしてくれなかったくせに今更口を出してくるな」と思っていたし、
就業経験もなく、散らかり放題の家で家事も満足にできない母を心底馬鹿にしていました。
母は母で働いていないので毎日やることもなく、目の前には
何をやってるのか考えているのかわからない行き遅れの娘がいつまでも実家にいる。
たまたま、私が高価なものを買ったのをきっかけに私の金遣いが気になったのか、
何度も勝手にカードの明細書を開封したり、私の机の引き出しを漁るようになりました。
そういうときに限って、親に見られたくないようなものが入ってるんですよ。
結婚相談所の入会パンフとかね(笑)
想像してみて下さい、独身女子の皆さん。絶叫したくなるほど嫌でしょ? 
何度文句を言ってもやめず、挙句、友人の結婚祝いの品物のリボンを外して
中を見ることまでやらかす始末(そして、ゆるっゆるに下手くそに結び直して戻してある)。
私は部屋にカギをかけるようになり、
1週間研修外泊をするときも、行き先も予定も言わずに家を出たりしていました。

(そうはいっても育ててもらったのに感謝が無いとか、実家を出ればいいじゃないとか、
そのあたりのご指摘は今はちょっと置いといてください(笑)
ここは当時の状況説明で書いているだけなので)

そんなわけで、私と母はこじれにこじれていました。
とはいうものの、父は急に亡くなって残った親は母一人。
父が亡くなった時、我が家は親戚とはあまり仲が良くなかったので、
せめて自分の家族だけは仲良くしたいと思ったので
(ま、そんなのお子ちゃまの戯言だったと後程思い直したんですけどね・笑)、
父には何もしてあげられなかったから母には親孝行というか、
もうちょっと仲良くしなきゃダメだろう、とは思っていました。
頭では。そう。左脳で判断したってね、そんな気ゼロなんですよ(笑)冗談じゃねぇ。

そんな折、リコネクションを受け、数か月で
「どうやらリコネを受けたらほんとになんでも引き寄せられるぞ」と気がつき、
あれこれ宇宙に「お願い」してみました。
目先の細かいことから、人生の大きいことまで。
その中に「まぁ、しょうがないけどこれも入れておくか。
「母と仲良くできるようになりますように」…って、
一瞬思ってはみたものの、即座に打ち消し(笑)
「無いな――ぜってー無いわ~そんなのお願いするのもムカつくわー」
と思ってましたよ。ハハハ。

と、お願いしたことも忘れて3年くらい経ちましたかね。
サロンの仕事は絶好調、忙しくて休みが無いことは寧ろウェルカムでしたが、
そのうちめんどくさい自分の性格から、サロンの方向性とか、
そこにまつわる自分自身のことで私はパンクしはじめまして。
思い起こせばずっとパンクしてたんですけど(笑)

当時、リコネクション効果で自分の抱える色んな困ったこと、
不自由なことをあれこれ解決させまくっているときでした。
目先のものがほとんど片付き始めると、
さて、自分のもっと奥底に当たり前のように横たわっているものに気づいた。
「ちょっと待てよ、これって自分にとって当たり前だと思ってたけど、
そもそもそれがおかしくないか?」と。(これについては別ブログで)

そこに目を付け「よし、この私の根っこにあるコレ、これをなんとかしてくれ宇宙」と頼んだ。
ら、それがめちゃくちゃデカかった(笑 
自分のこととサロンの仕事、息を切らしながら仕事を続けていましたが、
ついに限界がきてもうこれ以上無理、こんなことではサロンが続けられない、
というところまで来てしまいました。

私にとって、「仕事ができない」ことは人生の最大の危機でした。
仕事ができる自分でいることが自分の重要なアイデンティティだったし、
サロンの経営という側面においては、ちゃんと成果も出ていて、うまくいっている。
なのに、もう自分が、無理。

どうしよう、どうすんのコレ、とにっちもさっちもいかず、
もう身動きとれなくなってある日帰宅して母に「もう無理」と言いました。
なぜ母にって、ただ単純にその時その場に居合わせたのがたまたま母だった、てだけなんですが。

そうしたら、その時母が言ったことが私にとって衝撃的に身に染みたんですね。
発言内容としては、パンクしていない私だったら鼻で笑い飛ばすような、
「相変わらず寝ぼけたこと言ってんな」でした。
良い決め台詞でもなく、人柄を見直すでもなく、感動もない。
今まで通りの「何一つ満足にできない人」。
それでも、その時の私の状況には、その一言が偶然にもバチッとうまいこと当てはまったんです。
その時、その状況でそれを言ってくれる人がいなければ、
私は自分の人生を本当の意味で「折り返し」することができなかったでしょう。

その一言で、仕事も、自分のことも、全てがザァッと流れるように片付いた気がしました。
そして、あまりの衝撃にその時の私の脳内は一人で大騒ぎしてました(笑)

確かに私は数年前に母との関係改善を宇宙に頼んだ。
でもそんなこと今の今まですっかり忘れていた程度だった。
そして今、私の人生の一番深い根っこのところと向き合っていて、
人生の最大の危機にまで転がり落ちてしまった。
はっきりいって、オカンなんかに構ってる場合じゃない。
なのに、この一番重要なこの時に、今?
なんで今ここでオカン絡めてくる?! Σ( ̄□ ̄!! 
横から突然爆弾が飛んできて、全てがぶっ飛んだじゃないか、と。

宇宙はなんてとんでもないんだ、と驚愕しました。
なぜ、母との関係を頼んで、3年もかかったのか。
振り返ってみれば、この3年の間に私はリコネクション効果で
自分の仕事と自分自身の山ほどが動き、改善され、
次のステップ次のステップへどんどん進化していました。
沢山の事柄が全部ひとつの流れになって今、この状態まできたところへ
仕上げにオカンネタ、ドカン。
今、この瞬間にこんな風に絡んでこなければ、ここまでのインパクトが無ければ、
私の母に対する気持ちはここまでひっくり返らなかったでしょう。

そして気づいた。私みたいな性格の子供は、母みたいに
「面倒もみてくれないけど、代わりに口出しもしない」親じゃないとダメだったんだ、と。
だから私はこの母親を選んで生まれてきたんだと。
だから同時にこうも思いました。「もう、これで母からは卒業だな」と。
そこまでこだわっていたつもりはなかったけれど、
それすらすべて手放す時期がきたんだと思いました。

リコネクションのDr.エリック・パールは、
「全てはつながっていて、完璧なタイミングで発生する」
という主旨の説明をしています。
リコネを受けて自分の人生を振り返ると、本当にその通りだと思います。
一つ一つの出来事や変化が、無数の光が束のように幾重にも重なり、
沢山の事象が完璧なタイミングで合致して物事が発生します。
私たちは人生のあちこちで「あれが」「ここが」と一部分だけに焦点を当てて考える癖がありますが、
それらは全部つながっていて絡み合っていて、
それぞれに必然の変化と成長の段階を経て臨界点に達したときに大きく動くのです。

その後、結局半年ほどサロンを休んで無事社会復帰し、
私の人生は無事折り返し…いや、難局を乗り越えたのか? 今に至ります。
そして、あの一番大変だった時を支えてくれた母への感謝の気持ちが芽生え、
「老後の面倒はみてやろう(あくまで上から)」と思えるようになりました。
厳密に言えば、支えてはくれなかったんですけどね。
今まで通り、何もせずほったらかしにしておいてくれたんです。
でもそれでよかったんです。私は放っておいてくれれば勝手に自分で片づけて
勝手に自分で復帰するので、やっぱり今まで通り放置してくれる環境を与えてもらえてたということです。

で、やっと無事結婚した後は、夫は長男であるにも関わらず私の実家に母と同居してくれています。
相変わらず私はいつも母にイライラ、暴言吐きまくりですが、持ちつ持たれつでうまくやっています。
(しかしクーラーぐらい自分で掃除しろ、て思いますけどね)
この先、母がもっと老いてくるともっと色々面倒くさいことが出てきて、私も核爆発くらい荒れることでしょう。
でも「仕方ないけど面倒はみるつもり」の気持ちです。そこまで関係性は回復したってことですね。

以上、そこまで毒じゃなかったけどこじれていた親との和解?の体験でした。
リコネクションを受けられた方の親子関係の変化は本当に十人十色ですが、
特徴として「想像にありがちな解決方法」とはちょっと違った色に収まることも多いです。
沢山のお話を伺いますが、さすがにプライバシーだし細かな事情が入り組んでいて書けない…のが実情なので、
自分の話を書いてみました。ご参考になれば幸いです(^^

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